悪魔崇拝という言葉は、おどろおどろしい儀式や粗暴な行いをイメージさせます。
特定の宗教を信仰していなくても、友人や知人に悪魔崇拝者だと告白されれば、おそらく相手を見る目は変わるでしょう。
オカルトやホラーといった世界でも題材にされることも多く、そのほとんどが異端であり、忌むべき存在です。
しかし、悪魔崇拝はフィクションではなく実際に存在するものです。
では、実際の悪魔崇拝とはどのようなものなのでしょうか。
恐ろしいイメージがつきまとう悪魔崇拝
悪魔崇拝はサタニズムとも呼ばれ、その名の通り魔王サタンを崇拝する主義や思考のことです。
宗教として確立されているわけではなく、宗教的な考えを持ちつつも、個人や小規模なコミュニティーを作っていることがほとんどです。
悪魔教会という最大の悪魔崇拝団体は存在していますが、悪魔崇拝者のすべてが団体員だということもなく、悪魔崇拝者全員が悪魔教会の定めるルールに則っているとはいいがたいことが現実です。
ある程度の決まりはあるものの、自由も高く悪魔崇拝者だと自己申告してしまえば、悪魔崇拝者として認識される曖昧さもあります。
悪魔崇拝の一般的なイメージは小動物などの生き血を悪魔捧げ、魔的な力を与えてもらうといったものだと思いますが、現実の悪魔崇拝とはかなりの差があることがほとんどでしょう。
悪魔崇拝者にとって悪魔は権力や強さの象徴
旧約聖書を読み解くと、すでに悪魔崇拝と思われるくだりがあるため、数千年の歴史があると考えられます。
しかし、聖書に記されている悪魔崇拝は善悪を対比させたときの、悪の部分の象徴でしかなく、具体的に悪魔やサタンの記載はありません。
また、現在の悪魔崇拝とは異なる部分も多いため、1960年代に設立された悪魔教会が、今日の悪魔崇拝の原点ともいえるでしょう。
サタニストにとって、悪魔を信仰する理由は偶像に捕らわれず、人間的に生きる象徴です。
権力や強さといった自己の強さを表しているといえます。
悪魔崇拝は神に祈りを捧げ、救済を待つのではなく自ら行動をすること。
そして、人間らしく自然の摂理に逆らわないことが、悪魔崇拝主義の中心となる考え方です。
悪魔崇拝者たちが起こした凄惨な事件簿
2008年、ロシアで悪魔崇拝者たちが4人の少年・少女を殺害し切断。
遺体を食べたという凄惨な事件も起きています。
一般的な悪魔崇拝のイメージに近い事件といえますが、悪魔崇拝者の中でも稀有な思考の持ち主といっていいでしょう。
食人衝動と悪魔崇拝は全く別物ですし、悪魔の名を借りれば何をしてもかまわないという過激派の行動です。
殺害された少年・少女も悪魔崇拝の可能性があったとされていますが、ごく小さなコミュニティー内の、いわばマイルールのみを重視した加害者。もしくは加害者と被害者ということになります。
このような事件を起こす悪魔崇拝者は決して少なくはありませんが、悪魔崇拝が事件の原因ではなく、悪魔崇拝は事件の後づけのようなものがほとんどです。
サタニズムは多神教では成立しない
悪魔崇拝者は世界的に存在していますが、一定の宗教を信仰している国では極端にその数は少ないといえます。
悪魔崇拝はもともとキリスト教徒の異分子。
キリストが善であるならば、サタンは悪という対比で成り立っています。
悪魔崇拝は悪を崇拝するという意味になりますが、これはキリスト教が一神教のために成立する考え方です。
日本をはじめとする多神教の国では、善がひとつではないため対比として描かれる悪もひとつではありません。
唯一無二の存在があるからこその悪魔崇拝ですので、多神教の国には根づきにくい考え方といえるでしょう。
もちろん日本にもサタニストは存在していますが、敬虔なキリスト教国と比較すると圧倒的にその数は少ないといえます。
悪魔崇拝は決して自由奔放ではない
悪魔崇拝は悪を信仰するということや、一部の過激派が起こす目を覆いたくなるような事件のため、自由奔放で欲望のままに生きていると思われがちです。
野蛮や粗暴という印象も強いですし、悪魔崇拝者だと知られれば人から嫌厭されがちということもあります。
しかし、悪魔崇拝者にも戒律は存在します。
先にも述べた通り、悪魔崇拝は確立された宗教や団体ではないため、個人の解釈によって変わってしまう部分はありますが、最大の団体である悪魔教会が定めたルールは厳しいものです。
悪魔崇拝のイメージとは全く異なる、極めて人間らしく品行方正な印象が強い11のルールと、彼らが罪と考える9つの事柄があります。
悪魔崇拝者が厳守する11のルール
- 求められてもいないのに意見や忠告を与えないこと。
- 他人が嫌がるとわかるようなごたごたを話さないこと。
- 他人の家に入ったらその人に敬意を示すこと。それができないのであればそこへは行かないこと。
- 他人が自分の家で迷惑をかけるならその人を情け容赦なく扱うこと。
- 性交の合図がない限りセックスに誘わないこと。
- こんな重荷降ろして楽になりたい。と他人が声を大にして言っているものでない限り他人のものに手を出さないこと。
- 魔術を使って願望がうまくかなえられたときはその効力を認めること。魔術を行使できても、その力を否定すればそれまでに得たものを全て失ってしまう。
- 自分が被らなくても済むことに文句を言わないこと。
- 小さい子どもに危害を加えないこと。
- 自分が攻撃されたわけでも、自分で食べるわけでもない限り、他の動物を殺さないこと。
- 公道を歩くときは人に迷惑をかけない。自分を困らせるような人がいれば止めるよう注意をする。それでもだめな場合には攻撃をすること。
悪魔崇拝者が重要視する9つの罪
- 愚鈍さ
- 虚栄
- 唯我主義
- 自己欺瞞
- 群れに従うこと
- 見通しの欠如
- 過去の正統の忘却
- 非生産的なプライド
- 美意識の欠如
悪魔崇拝者は意外にも身近に存在している
国によって悪魔崇拝者の数は大きく異なりますが、悪魔崇拝者だと公言している著名人は少なくありません。
ミュージシャンやアーティストは特に多いですが、プロモーションとしての悪魔崇拝者もいるでしょう。
意外にも政治家や実業家にも悪魔崇拝者は多いのです。
悪魔崇拝者のルールや罪と重ね合わせると分かりやすいですが、周囲に流されず自己を保ち続けること。
自己表現を生業とする人にとって、悪魔崇拝のルールや罪は成功への鍵となりえるものといえるでしょう。
生活環境を守るために、表に出していないものの、実は悪魔崇拝者だという人はごく身近に存在しているかもしれませんね。
悪魔崇拝者は異端ではないということ
重複しますが悪魔崇拝のイメージ決していいものではないと思います。
映画や小説の中に描かれるサタニズムは、常に悪であり最終的には滅ぼされる運命をたどることが多いです。
犯罪や人を傷つけ、時には命さえ奪うこともいとわない主義・思考の持ち主といった印象でしょう。
しかし、悪魔崇拝は決して特別なことではなく、節度やルールを重んじる人々だといえます。
悪魔崇拝・サタニズムと表現されるがゆえに偏見を持たれたり、異端とされていますが、決して特別ではなく彼らの概念に基づいたマナーを守るモラリストであるといえるでしょう。
信仰や宗教の選択は自由ですし、人の権利だともいえますが、国教が一神教の国では迫害されてしまう背景もあります。
まとめ
悪魔崇拝は、大きく分けると2つに分類されるといわれています。
サタニズムの名の通り、悪魔であるサタンや神を信じる人々と、神の存在を信じない人々です。
それだけでも主義や主張は変わってきますが、小さなコミュニティーや独自の見解を示す悪魔崇拝者は数えきれません。
その中には、凄惨な事件を起こし他人に危害を加える者もいます。
しかし、悪魔崇拝はあくまで主義や思考のひとつにすぎません。
人によってものの好き嫌いが異なるように、悪魔崇拝を受け入れられる人も、受け入れられない人もいると思います。
また悪魔崇拝者同士でも、考え方が異なれば相容れないことも多いでしょう。
一部の過激派が起こす事件は別の要因が大きくかかわっていることが多いですし、悪魔崇拝者の多くは独自の戒律を守り、常識を持って潔く生活している人たちがほとんどです。