スピリチュアル

エンパシーの根本は他人と深く共感すること1つである

私たちはたくさんの言葉を交わさなくても他人のことを理解することができます。目の前にいる人が不幸な目にあっていると自分もつらい思いをすることがありますし、うれしそうにしていれば自身もうれしい思いをします。

一見するととても当たり前のことのように思えますが、契約をしたりルールを決めなかったりしても、他人と強調して動くことができるというのはすごいことではないでしょうか。そして、こうした能力は私たちの魂の在り方にかかわっています。

人は日常的に他人と共感しあって生きている

人がしてほしいと思っていることが何となくわかったり、寂しそうにしている人に声をかけたり、と私たちは何となく察して行動します。もし、この他人の気持ちを察する能力がなければ、的確な手当てができないと思われます。

人は日常的に他人と共感しあうことで、人間関係を維持し、ダメージが生じそうであれば手当てを行います。もしも、私たちの魂に他人と共感する力が備わっていなければ、世の中は大変なことになってしまうでしょう。

思いやりがまったくない世界は不幸である

他人に対する思いやりが全くない世界を考えてみてください。困った顔をしている人がいても誰も助けることはないし、「助けなければいけない」という自然な義務感も生じません。自分に利益がなければ他人の存在に見向きもしないというのが私たちの本質ならば、おそらく、この社会は誕生しなかったことでしょう。

私たちの魂には、他者の気持ちを理解する力が備わっており、困っている人を見かけた時にその時助けられなかったとしてもなんとなく義務を果たさなかったような気がして居心地が悪くなるという借りのような感情が残ります。これが別のところでは、他人にやさしくふるまうことを保証してくれるのです。

本来は自然に共感しあえるはずなのに阻害されている

しかし、この能力は本来魂に備わっているはずなのに、阻害されています。困った人を助けるにも私たちは理由を求めてしまいます。世の中には苦しそうな表情をしている人がいても、誰にも手を差し伸べられないということが起こります。起こるはずのない不幸が連続して起こっているのはどうしてなのでしょうか。

それは、自然な感情を押し殺す働きが私たちを縛っているからです。たとえば、すごく苦しそうな顔をしている人がいたとします。声をかけてあげたくても、余計なお世話かもしれない、自分がするべきことがほかにあるので構っていられない、責任を取ることができない、といった理由で助けてあげたいという気持ちは実現されることがありません。

ことばに頼らなければ共感も表せない現代

私たちの社会はことばや数字といった記号が大きな影響力を持っています。たとえば、お金はよく考えてみればただの紙切れですが、そこに乗っている数字は人の人生を左右し、心を狂わせます。貨幣は一つの記号であり、それが表現する数字は実世界を動かすだけの力を持っています。

ことばや数字はとても強力な力を有しているため、現代人はコミュニケーションをするときにはすぐにこうした記号の力に頼ります。他人にやさしくすることを考える前に、もし自分が治療費を代替わりすることになれば、本当に大変なら口で頼み込むはずだ、といったようなコミュニケーションを前提としてしまうのです。つまり、冷徹な理性が優しい気持ちを抑え込んでしまうのです。

スピリチュアルなエンパシーは魂で他人に触れる

思いやりの本質的な部分は魂の奥底にあります。共感(エンパシー)は自分の魂と他人の魂を振れ合わせることにほかなりません。ことばで多くを説明しなかったとしても他人の気持ちを感じ取って、嫌な気持ちにお互いにふさぎ込んだり、うれしい気持ちを共有したりできるのです。

一方で、魂の働きを冷たい頭の働きで抑え込んでしまうと、エンパシーの力は失われてしまいます。本来の力を取り戻したければ、人はスピリチュアリティに触れなければなりません。また、無自覚に魂をむき出しにしてしまっている人はつらい思いさえしてしまいます。

デメリットは気にしすぎてしまうこと

エンパシーが強すぎる人、つまり、社会や他人に対して魂がむき出しになってしまっている人は他人に共感しすぎてしまいます。こうした人は根本的にやさしい人である一方で、どうしようもないことに振り回されてしまいます。

世の中の困りごとには自分が手をさし伸ばせることもありますが、自分にはどうしようもないことがあります。たとえば、タクシーに乗った時にタクシーの運転手が前の客のせいでイライラしており、舌打ちしたとしましょう。エンパシーが高い人はその舌打ちを自分が原因ではないかと考えてしまいます。しかし、そんなことはありえません。自分がどうしようもできない嫌な気持ちをたくさん背負ってしまうと、生きていくのがつらくなります。エンパシーのデメリットはいろいろなことを気にしすぎてしまうということです。

大事なことにもたくさん気づいている

一方で、エンパシーが高い人はそうでない人よりもたくさんのことに気づくことができます。職場でとても傷ついていて今にもやめてしまいそうになっている人がいたとしましょう。退職することが幸せにつながる場合であればそれもよいのですが、そうでない場合もあります。少しだけ話を聞くことができれば破局につながらない事態は少なくありません。

エンパシーが高い人はそうした出来事を未然に感じ取ることができます。その人が悩みを聞き出し、適切な人に相談することで皆が幸せになるという事態が生じます。エンパシーが強い人は他人よりも多くのことを背負ってしまいますが、その分、多くの人を幸せにできるポテンシャルを秘めています。

気づきのコントロールと活用が人生を変える

重要なことはエンパシーの高さから得られる感情移入や一体感をうまくコントロールすることです。自分がどうしようもないことのせいで苦しむのは避けなければいけません。改善しようのない不幸な出来事を背負い込んでしまうと、この世はとても生きづらい気持ちになってしまいます。

自然災害が起こった時やテロリズムによって大きな被害が出た時に、その映像を繰り返し放送するマスメディアのせいで精神に変調をきたしてしまう人もいます。おそらくその人たちはエンパシーが高いのです。被害にあった人に魂を重ね合わせてしまうと、自分が被害にあってどうしようもなくなったり、死んでしまったりすることと同じ意味を持つことになります。世の中はエンパシーの高さを前提にしていないため、病んでしまうかもしれません。

共感の範囲をコントロールするための意識の向け方

エンパシーの高さは捨てるべきものなのでしょうか。それもまた、短絡だといえるでしょう。確かに、この世の中にはどうしようもないことがたくさんあります。しかし、エンパシーの高さを活用して、他人にちょっとした慰めになる行動をとるだけでも世の中は良くなります。

したがって、エンパシーの高さを失わずに、苦しい事態を避けることが必要になります。このための方法は、自分にエンパシーを発揮することです。優しい感性の持ち主は他人のことばかり気にしてしまって、自分をないがしろにしてしまいがちです。そこで、エンパシーの及ぶ範囲に自分も入れて、どうしようもないことに対してはむしろ自分の気持ちと向き合うようにするべきなのです。

共感を振り切ってことばにする習慣で前向きに

自分自身に共感を向けるということは、他人への共感を振り切るということでもあります。共感は自然な魂の性質として広がるため、押しとどめるのは困難に思えますが、現代では明文化された文化のために共感が阻害されていることに目を向けてみましょう。

つまり、ことばにするということで共感を振り切ることができるのです。自分では解決できないことをたくさん抱えてしまうと後ろ向きになってしまいます。そのモヤモヤした感情を紙に書いて吐き出してみましょう。そうすると、自分にはどうしようもない現実をはっきりと認識することができます。共感は大切であり、ことばはそれを妨害する働きを持っていますが、毒を以て毒を制すことが可能なのです。

「情けは人の為ならず」共感は互恵的である

「情けは人の為ならず」という誤解されやすいことばがあります。これは、他人に同情することはその人のためにならないという意味と誤解されることがありますが、実際には、他人のために同情したことは巡り巡って自分に返ってくるという意味なのです。

エンパシーの強い人は結果的に自分の人生を豊かにすることができます。他人に共感して魂の求める働きをすることは他人を助けるだけではなく、自分に対しても恩恵があります。共感は互恵的なものなのです。

共感力の高さは集団活動で力を発揮する

もしも、人が一人で生きていける環境ならエンパシーは必要ありません。しかし、現代社会は一人きりでやっていける環境ではなくなっています。まず、世の中は複雑な分業によって成り立っているという事実があります。目の前のものができたのは自分の知らない人が働いたからです。自分の知らない人がまた別の知らない人のために働いたおかげで、直接会ったこともないあなたが得をしています。

これが社会の推進力になっている分業のパワーです。これを成立させるためには、たくさんの人が自分の才能を他人と強調して発揮することが必要となります。チームプレイを円滑に進ませるのはまさに、エンパシーのなせる業であり、私たちの魂にエンパシーが存在しなければ、世の中はここまで発展してこなかったでしょう。

喜びを倍にして苦しみを分かち合うために共感する

チームプレイで、よく「あの人がいたからつらい環境でもやってこれた」ということばを聞くことがあります。そして、大きな成功を収めた時には互いに肩を抱き合って気分を高めます。エンパシーの働きによって、苦しみは分割されます。その一方で、喜びの気持ちはとても大きなものになります。

誰かに自分の苦しみを打ち明けると楽になるのは、触れ合った魂が苦しみを分け合うからです。他人の苦しみを少しだけ引き受けることで、幸福を与える力を私たちは本来有しています。一方で、他人の喜びを受け取って自分も喜びを表すことができれば、その喜びは伝わり、倍増されます。つまり、エンパシーは魂の触れ合いによって、喜びの総量を増やし、苦しみについては減らすのです。

エンパシーはリーダーシップにこそ求められる

エンパシーは自分の心を他人に開くことによって生じます。この能力はかつてないほど現代社会で重要になっています。この社会で成果を挙げるためには他人の力と自分の力を一つにまとめ上げることが必要不可欠です。

そして、この様々な利益や関心を持った人をまとめ上げる力はリーダーシップといわれます。現代に求められるリーダーシップはウエットなエンパシーなのです。世界的企業であるGoogleは、自社のプロジェクトを分析し、成功の原因をリーダーのソフトなスキルと認識しました。他人の気持ちを盛り上げ、悩み事を解決する力が仕事の成果に直結するというのです。エンパシーの高さはリーダーにこそ求められるといえるでしょう。

まとめ

他人の気持ちを知り、そこに寄り添う力、つまりエンパシーは魂に備わっている力です。人の魂に触れ、自分の魂を重ね合わせることができれば、喜びや悲しみを他人と分け合い、人は他人と一緒にもっと幸せになったり不幸を軽減したりすることができます。

他人に対してオープンな心を持つ準備をしつつ、どうしようもないことに対しては心を閉じておくというスキルが必要になります。そのスキルによって、人の心をまとめ、何らかの課題を解決することで社会はもっと前向きな力を持ちます。そうした推進力の持ち主をリーダーと呼ぶべきであり、リーダーは高いエンパシーを必要とされます。エンパシーは単なる気持ちにとどまらず、人の本質である魂の力を最大限に高めるためのソフトスキルなのです。