スピリチュアル

幽体離脱は肉体と精神の2つの世界の交わる現象

現代社会は唯物論(物質だけが存在するという見解)が有力になっています。心の働きは脳によって説明され、思考の働きは言語や環境の性質から解明され、人同士の思いやりの気持ちは進化の特性のひとつとして説明されます。

しかし、このような説明では自分自身が本当はどのような存在なのかという十分な意味づけを与えてくれません。私たちが無機物と同じモノなら、なぜこの世界の中で特別な性質をもっているのかという意味付けができないのです。幽体離脱は魂(本質)が肉体とは別にあることを示唆しています。

幽体離脱は魂の自由さを示している

もしも人の魂と肉体が同じものであれば、幽体離脱という現象は起こらないでしょう。しかし、幽体離脱は多くの人が体験していますし、いま、この瞬間にも世界中のどこかで起こっている普遍的な現象です。

これが指し示しているのは魂が肉体に支配されているように見えるけれども、実は魂は自由だということです。そして、この魂こそが私たちの本質であり、魂は時間や空間や因果律からも自由だということが結論付けられます。魂は肉体から抜け出ることのできる自由な物なのです。

肉体の世界では視野が目や感覚の範囲に縛られる

では、幽体離脱が奇異な現象と感じられるのはなぜでしょうか。それは、おそらく、肉体に付いているセンサーが非常に優秀なものだからです。目で見たものはかなり忠実に私たちの世界を表しているように見えます。耳で聞いた音は立体感を再現し、コミュニケーションに適しています。

しかし、一方ではこうした感覚器官は「出来過ぎ」なのです。たとえば、私たちの生活は電化製品によってとても豊かになっていますが、電気を目にすることはありません。私たちの体が原子から成り立っていることはわかっていますが、それを実感することはまずありません。私たちの肉体の世界は目や感覚によって縛られていますが、私たちが知っている知識は肉体を超えたところにあります。

考えたり、思ったりすることは時間も空間も超える

感覚の作る知覚された世界を超えたところにあるリアルな世界を見つけ出すことができたのは、私たちが肉体の制約を超えて考えたり思ったりすることができる力を有しているからです。つまり、こうした思索や思考の能力が魂に備わっているおかげで自分たちの世界が実はどのようであるのかという知識を得ることに成功しているのです。

逆説的に聞こえますが、時間や空間を超えたところに視点を持っていけるから時間や空間を認識することができ、因果律を超えたところに視点を持っていけるから法則性を見つけることができます。物理的な知識の多くは私たちの物理を超えた思考能力によるものであり、こうした点からも、魂の自由さを感じ取ることができます。もしも魂が目の前の光景を超越することができなければ、私たちはこれほどまでに豊かな生活を甘受できなかったでしょう。

私たちの本質はむしろ、時間や空間を超えた魂にある

そうした点を考慮すると、私たちは魂と肉体を持っており、普段は肉体が優位に立っているにもかかわらず、本質は時間や空間を超えた魂にあるといってもよいでしょう。私たちの肉体が知覚している世界の豊かさは、その外側に位置する魂によってもたらされたものです。愛や友情といった人と人の関係もまた、直接目にすることはできませんが、確かな実在として感じられます。それは魂のなせる業でしょう。

幽体離脱は肉体が限界にきて、魂の働きがそこに縛られなくなったときにおこるといってよいでしょう。だからといって、これはおかしな現象ではなく、むしろ日常的に素晴らしい働きをしている魂が無視されていることの方が本来おかしなことなのです。

幽体離脱は、望んで実行もできる

幽体離脱は、不意に金縛りのような状態と同時に起こることが多いようです。そのため、アクシデントとしての要素が強いとされていますが、人間によってコントロールすることも意図的に引き起こすこともできないものでもないことは強調しておく必要があります。

幽体離脱は魂の働きであり、魂の力を活用する力を持っていれば、自ら望んで幽体離脱を実行することができるのです。では、肉体の限界といったところから幽体離脱のメカニズムを見ていきましょう。

肉体が危機に瀕しているときにおこる幽体離脱

先述したように日常生活においては肉体よりも精神の動きのほうに優位があるため、魂は肉体に強く繋ぎ止められています。これを常識としてしまっているために、肉体を超え出たところに魂を持っていくことは普通の人にはできなくなっています。しかし、長時間労働が続き、強いプレッシャーを受けてふさぎ込んでいるような状況では肉体はへとへとに疲れ切っています。精神と肉体をつなぐ働きをしている脳もまた大きく疲労しています。

このとき、肉体は精神をコントロールする力を失います。そこで、肉体から精神が離れていき、自分の体を抜け出し、さらに時間を超えて未来のことを先取りしたり、宇宙の真実について認識したりするのです。

幽体離脱を行う方法は肉体を不活性にすること

こうした考え方を理解していれば、肉体が不健康でなくても、まるで肉体が不健康であるかのようにふるまう方法があるのではないか、と思いつくかもしれません。そうした方法のひとつが瞑想です。ヘミシンクやマントラといった手法もありますが、基本的には自分の本質であるスピリチュアリティに高い集中力を注ぐことで、肉体ではなく、魂を活性化させます。

このとき、肉体は不活性になっており、不健康な状態に近しくなっていますが、技と能力を抑えているだけなのでむしろ極めて安静な状態にあります。素晴らしいリラックス状態にあると表現することも間違いではないでしょう。こうした方法を極めていけば、自分の望むように幽体離脱を引き起こすことができます。

肉体を疎かにすることもまた危険である

こうした理解は肉体を「まるで不健康な状態にあるように」不活性にするところにポイントがあり、本当に不健康な状態になってしまうことは推奨されません。たとえば、意識を飛ばして浮遊感がえられるということからアルコールの力を借りて、自分を変えようとする人がいます。あるいは、ドラッグを用いて精神を肉体から超えさせようとする人もいます。

こうした試みは肉体を傷つつけてしまいます。私たちの本質がたとえ魂にあるといっても、肉体もまた、大事な自分の要素であり、魂とつながっています。意図的に肉体のダメージを与えるような行為に及んでしまうと、肉体の不便さや不安が増えてかえって精神や魂に集中できなくなる恐れがあります。

幽体離脱は魂の自由さを味わって過ごす

幽体離脱は自由な体験として語られることもあれば、恐怖体験となる場合もあります。同じような体験のはずなのに、どうしてこうも違うのでしょうか。

その理由は、大きくは二つあります。まず、肉体そのものが健全かどうかです。幽体離脱の時の金縛りで不快な思いをするのは、実は、普段の自分が認識しているよりもはるかに疲弊しきっているためであり、魂が改めて疲労感を認識しているだけです。もう一つは、魂の自由さを認識しないまま新しい世界に触れてしまうとどうしても不安が付きまとうからです。

幽体離脱の時恐怖体験が伴うのは体の疲れのため

幽体離脱の際、先に書いたように自分で意識しない場合には魂は肉体がある意味で限界を迎えた時に肉体を離れます。このときには、肉体はへとへとになっていて魂を束縛する力を失ってしまうほどに傷んでいます。しかし、私たちは自分の肉体の力が落ちれば落ちるほど肉体の状態を感じ取る力を失ってしまいます。

現代社会ではうつ病等の精神疾患が課題となっていますが、精神疾患の持ち主は自分が疲れていることを感じ取ることができなくなって、ある日、頑張ろうにも頑張ることができず、ベッドから立ち上がることすらできないという事態に陥るといわれます。このような状況であれば、肉体から魂が離れたとしても、感じられるのはこれまで感じてこなかった本当の疲れだけになるでしょう。このような幽体離脱が恐怖を伴うのは当然です。休むべき、という魂からのメッセージです。

瞑想などによって慣れていれば恐れる必要はない

直接の幽体離脱の体験がなかったとしても精神や魂の動きに敏感になっていれば、幽体離脱は恐れることではありません。むしろ、魂が自由になるのは望ましいことだとわかるでしょう。幽体離脱をうまく活用して、本来の自分を探し当てて潜在能力に目覚めたり、地球のこの場所を飛びぬけて宇宙のどこかにいる知的生命体にアクセスしてこれまでになかった知見を得たり、過去・現在・未来という時間の枠組みを超えて、未来のことを知ったりと無数の可能性と出会うことができるのですからむしろワクワクするはずです。

スピリチュアリティへの接近方法として人気のある瞑想法などに通暁していれば、魂が自由に働いたとしても恐れることはまったくないでしょう。なぜなら、魂は肉体とは別物であり、人の本質はむしろ魂のほうにあることを実感しているからです。

まとめ

私たちは物質有意な世界の中に生きていますが、精神や魂の世界は別個に存在し、その二つの世界がつながっていることから幽体離脱が生じます。魂は肉体と同じ性格を受けないために、幽体離脱した魂は自由を謳歌することができます。

幽体離脱は性質上、魂を抑え込んでいる肉体の力が弱まっているときにアクシデントとして起こることが多いようです。しかし、肉体ではなく、魂に精神を集中させる瞑想などの方法に通暁している人は幽体離脱を意図的に引き起こすことができ、魂の自由さを活用することで様々なメリットを得ることができます。肉体や物質有意の世界の外側が存在し、そこに重要性があるから幽体離脱は面白いのです。

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